
第六回目のゲストは、
阿部 雄太(あべ ゆうた)さん
地元の高校を卒業後、福島の大学へ進学。将来の夢であったSE(システムエンジニア)として東京で働いておられました。現在は帰郷され、茅葺屋根の民家を改修した民宿「格山」を経営される傍ら、実家の家業である本屋と塾のお手伝いもされています。
今回は、当研究所の研究員(期間中受入れしているインターン生)、須田和希、田畑晴紀、阿部唯と一緒に、お話をおうかがいしました。
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所長)では、よろしくお願いします。
雄太さんの出身中学校は高瀬中学校(羽後町立高瀬中学校(2016年3月31日統廃合により閉校))だったと思いますが高校はどちらに進学されましたか。
雄太さん)高校は湯沢高校(秋田県立湯沢高等学校)でした。
所長)地域的に羽後高校(秋田県立羽後高等学校)への進学される方が多かったと思いますが、なぜ湯沢高校に進学されたのですか。
雄太さん)大学進学を希望する人は、湯沢高校か横手高校(秋田県立横手高等学校)へ進学するケースが多かったです。父も姉も湯沢高校出身でしたので、大学進学するなら湯沢高校ではないかと考えていました。
所長)高校進学するときから大学進学を考えておられたということですか。
雄太さん)はい、進学を考えていました。
所長)高校では、文理分けがあると思いますがどちらに進まれましたか。

雄太さん)理系へ進みました。小学5年生の頃、世の中にwindowsが普及しつつあり、将来はコンピューター関連の仕事に就きたいという気持ちがあり、大学も理系に進むことを考えていました。
所長)中学生になる前から将来の夢を描いていたのですね。
大学はどちらに進学されましたか。
雄太さん)福島県の会津大学に進学しました。コンピューター理工学の単科大学でしたので、専門的知識を学べると思い志望しました。
所長)就職活動はいつ頃から始めましたか。
雄太さん)3年生の夏頃だったと思います。最初は仙台周辺でコンピューターシステムの会社を探していました。そもそもIT系の仕事に興味を持ったのは、インターネットを使い仕事ができれば世界のどこにいても仕事ができると考えたからです。いずれ地元に戻りたいと考えていましたので、知識やスキルが身につけば地元でもそれを生かした仕事ができると思っていました。ですが、基本的にこのような会社は東京一極集中で、仙台では求人がなかったため東京での就職を選択しました。
所長)最終的にはどこに就職しましたか。
雄太さん)大手は狙わず中小で風通しのよさそうな会社を探し、200人程度の小規模なソフトウェア会社に就職しました。
所長)ソフトウェア会社ということは、SE(システムエンジニア)ということですか。
雄太さん)そうです。新人研修を終えてからは、病院の院内システムの開発や大手賃貸サービスの社内システムの開発に携わっていました。
所長)やりたいと思っていた仕事に就けたわけですが、働き始めてからは楽しかったですか。

雄太さん)仕事は面白かったですが、システム開発は入力ミスがシステムに直接影響するため毎日緊張の連続で、入社して何年間かはその状況に辛さを感じていました。また、システムに異常が起これば深夜でも処理しなければならない状況下でプレッシャーも感じていました。
この業界でキャリアを積むことで失敗したと思うことは、社内という限られたシステムの開発経験を積んだことです。地元に戻ってくる事を踏まえると、万人が使用するアプリケーションソフトの開発経験を積むべきでした。しかし、入社後はプレッシャーに耐えながら目の前の仕事にいっぱいとなり、キャリアアップのことは考えていられない状況でした。
所長)目的や目標を明確にしないと、そうなりがちですよね。ですが、そこまで描いて行動できている人は少ないと思います。
学生の皆さんは、そのあたりで何か感じることはありますか。
田畑)お話が凄いリアルだと思いました。
唯)どれだけ好きなことでも辛いと思うことが必ずあるのだと感じました。

雄太さん)好きなことに携わっていましたのでやりがいも多かったですが、好きだけでは何ともならない部分もありました。システム開発の仕事には、要求分析、要件定義、機能設計をおこなう上流工程と、コーディング、各種テストをおこなう下流工程に分かれており、クライアントのシステム開発では上流工程に関われたのですが、部署移動を重ねる間に自社のパッケージ商品などの下流工程に関わるようになりました。上流下流ともに重要な仕事ですが、下流の仕事ではやりがいを感じにくくなっていました。
唯)好きな仕事でも中身が違うとやりがいの感じ方も違うんですね。
所長)仕事や職業にも様々な面がありますからね。
研究員の皆さんは、志向的に秋田県内に残りたい派、都市に出てみたい派のどちらですか。
田畑)県外へ出る志向が強いです。
須田)これまではどちらでも良いと思っていました。お話を聞いて考えると、自分は生まれてからあまり県外に出ていないことや性格から都市部での暮らしは厳しいかなと思います。
唯)私は部活で東京遠征したとき、満員電車やどこに行っても行列があったことが辛かったです。3泊だけでしたが、絶対向いてないないと思いました。(笑)
雄太さん)ですがみなさん、地方を出て都市部で暮らしたからこそ分かることもあるんです。離れたからこそ気づく地元の良さや魅力、生活環境が変わることではじめて気づくことがたくさんありました。自分に合う合わないは、不安があっても実際に暮らしてみないとわかりませんし、都市部で暮らしたことで地元の良さにも気づけました。
所長)わたしは都市部から地方へ来た逆パターンですが、実際に暮らす中で都市部との違いに魅了されています。やはり住んでみないと自分に合うかどうかわからないことも多いと感じました。
雄太さん)地方は人間関係が密で村社会が怖いって考えていたけど、来てみたら案外楽しかったり、実際住んでみたら案外関わりがなかったりして、かえって気が楽という人もいるでしょうし、人それぞれで全然違ったりすると思います(笑)
ですがやはり経験という部分では、一度都市部で暮らしてみることは良いことだと思います。

所長)そうかもしれませんね。わたしも実体験から環境を変えて暮らしたてみたい人は躊躇せず実際に暮らしてみることをおススメする派です。
地域との関わりという話がありましたが、研究員のみなさんは地域や地域の人との接点や関係性などありますか。
須田)僕は実家の田植え手伝いで地域の人と関わりますが、それ以外はあまりないです。
唯)部活動や学業が忙しくなり関わりが少なくなっていきましたが、それ以前は地域の子ども同士や家族ぐるみの関わりは結構多かったと思います。
所長)田畑君はどうでしょう。
田畑)小さい頃と比べると、隣近所の関わりは確実にないですね。町内の同じ年代や子ども同士で遊ぶなどは自分たちの世代が最後だと思います。
所長)雄太さんの小さい頃はどうでしたか。
雄太さん)当時は、地域に子どもがいましたからお祭りなども集落単位で成立していたと思います。ですが今は、地域の小学校は統合しても同級生が10人以下ですし、子どもが確実に少なくなり地域単位でも相当減ったと感じています。
地域で暮らす中で深刻な問題は、地域や集落では生活を守るため果たさなければならない義務や仕事が継続できるか否かといったことです。これまでは若い人が減る中でもなんとか成り立っていたのですが色々大変になってきています。例えば地域の草刈りです。人手という部分でも減っていますので、これまで参加していない世代の参加も必要となるかもしれません。ですが、今は昔と比べ働き方が多様化し、それぞれ休みの日が異なるということもあります。やはり一つのことをやるために人が集まらないので、まず人集めで足止めを食らったりします。
所長)話がまた戻るのですが、東京での生活が合わないとお話されていましたが、暮らしてみて良かった点もありますよね。
雄太さん)東京の良さはやはり様々な人がいるので、何をしても目立たないということでしょうか。奇抜なことをしてもその人の個性としてあまり他の人は関わらないです。僕もちょんまげみたいな格好していたのですが目立たなかったです(笑)
あと案外お金使わないです。当時は江戸川区に住んでいたのですが、無料の動物園があるなど、お金使わないで過ごせる選択肢が多かったです。
所長)確かにそうですね。

雄太さん)選択肢という部分で、都市部は「仕事の帰りにサッカー観戦して帰ろう」「あそこで遊んで帰ろう」など、何かやりたいと思ったときの選択肢も多いですが、田舎だと選択肢が狭まることがありますね。それでも昔に比べればインターネットが普及したおかげで、情報やモノだってワンクリックで届くし、人との交流も簡単に出来ます。今の時代は田舎でも色々な選択肢があると思います。
所長)一方で、地域の良さは何でしょう。出て戻ったからこそ感じるところは何ですか
雄太さん)他人の目さえ気にしなければ基本的にはのんびりできます。村八分といったことが昔はあったかもしれませんが、今は普通に暮らせばそのようなことはありませんし、地域だけで暮らす必要もなく、車もありインターネットもありで遠方でも繋がれるので気持ちを楽にして暮らしていけます。あとは自然から四季を感じれます。東京で暮らしていた頃は、朝出勤して帰りは暗い時間という生活をしていたため、あまり季節を感じませんでした。たまに立ち寄ったコンビニのPOPとかで「あ!今ってそんなの時期なんだ」と気付くんです。生活に季節感があるのはコンビニのPOPくらいでした(笑)
ですが、田舎で暮らすと、季節ごとの山の色、日が昇り沈む時間の変化、時期ごとの旬の食材など、季節をダイレクトに感じとれます。
それに震災の災害時、パニックになったことで都市部は強くないと思いました。電車の運休や、電話が繋がらなくなるなど、子どもの安否確認に走って保育園に行ったりしました。震災翌日からは道路渋滞も増え、ガソリンが手に入らないといった状況やコンビニから食糧や水が消え何も買えないということもおこりました。地方ではそこまでの状況は無いと思います。
所長)ご自身は都市部に出て戻ってこられましたが、お子さんにはどう生きてほしいなどありますか。

雄太さん)これといってありません。自分の思った通り自由に生きてほしいです。ですが、勉強だけはしてほしいです。地元に戻ってからプログラマーの仕事をしていない理由の一つにシステムエンジニアやプログラマーとしての限界を感じたということがあります。
エンジニアですのでプログラムを読めば内容は分かるのですが、勤めていた当時、リーダーが作ったプログラムを見て全く理解できないということがありました。学生時代、自分は将来絶対使わないと思い、さほど重要視していなかった知識を使ったプログラムでしたので「この知識はここでこのように使うのか」と改めて気づかされ、自分の知識の浅さを感じさせられましたし、やはりきちんと勉強しとくべきだったと後悔しました。
大学では単位を取ればいいと思っていた自分の甘さを感じていますので、そうならないように勉強してほしいです。勉強ができれば将来の選択肢も増えますので。
所長)そうですね。選択肢は増えますからね。
最後にこれから社会にでていく若者世代にメッセージをいただますか。
雄太さん)「俺みたいになるなよ」という感じです(笑)
基本的に選択肢は常にあると思い行動することが大切です。選択肢は色々あり「これでないとダメ」ということもないので、人生で疲れたらこういう選択肢もあるんだという引き出しを探してみてください。
自分は、勉強していなくて選択肢を自ら縮めてしまったところもありますので、そこはある程度頑張って広げていかないといけないと思います。人脈もそうですし、やはり色々なものは自ら行動して広がる部分は多いです。困ったときに使える選択肢を増やしておくことが大事だと思うので、様々な経験をしてたくさんの選択肢を増やしてください。
所長)本日はありがとうございました。
研究員たち)ありがとうございました!
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