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所長の部屋『ゲスト:黒田純代さん』


第11回目のゲストは


黒田純代さん

愛知県名古屋市出身


黒田さん(以下、敬称略)は、地元名古屋の公立高校を卒業後、愛知学院大学へ進学。包装資材を扱う会社へ就職して働く傍ら、副業で講師業を開始。講師業との出会いが学生時代描いていた教職への思いを呼び覚まし、学習塾を開業する。

現在は、秋田県羽後町の地域おこし協力隊として活動する傍ら、キャリアコンサルタントとして活動する。


今回は研究員の高野史菜(山形県内の大学に通う2年生(NPO法人みらいの学校のインターン生)と一緒にインタビューしました。


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所長)中学校や高校は公立校でしたか


黒田)はい。中高とも自宅から通える範囲の公立校でした。


所長)高校進学はどのような基準で選択されましたか。


黒田)自分の成績と志望校の偏差値を見比べると、通える範囲の高校のほとんどを受験できる状況でしたが、当時は総合選抜制の群制度がありましたので、希望校にダイレクト受験できませんでした。

群制度は合格発表までどの学校に行くかはわからないという入試制度でしたが、希望していた高校は2校ありましたので希望校を含んだ群を受験しました。


所長)群制度…

初めて聞いたシステムです。勉強不足で… 


黒田)今は廃止されましたが、当時はこの受験制度でした。

一応、真面目な子でしたので、進学の選択肢は複数ありました(笑)


所長)複数ある選択肢の中で、どう選びましたか。


黒田)昔から本が好きでした。特に小説が好きでライトノベルをたくさん読んでいました。実は通学中に本を読むことや通学時間の中での出会いにも憧れていましたが、中学時代は家の前が学校でそれは叶いませんでした。高校生はそれができる環境を望んでいましたので、自分の偏差値と群制度の中でそれに見合う高校で選んでいました。

2校の1つは設立80年ほどの伝統校でした。自由度や校風が気に入っていました。


所長)校風ですか。


黒田)高校の名前を文字って、○○温泉と呼ばれるほど、心地良さのある進学校で(笑)

最終的にはこちらに進学しました。


所長)卒業後、愛知学院大学に進学されていますが、進学校を選ばれたということは、高校進学時から大学進学を考えていたということですか。


黒田)そうです。進学校でしたので就職する同級生はいなかったと思います。

浪人を選択肢する人はいましたが、同じクラスで就職した人はいなかったです。



所長)都市部と地方では、就職する高校生の割合は違いますが、地方でも今は大学進学を希望する高校生は増加傾向ですね。

ところで、大学では何を専攻されていましたか。


黒田)文学部歴史学科です。

教職を目指していましたので、大学では教員免許が取得できる学部を選択しました。


所長)教職ならば、他にも選択肢があったと思うのですが、その中でもなぜ文学部を選ばれたのですか。


黒田)歴史を担当したかったので、文学部の歴史学科を専攻しました。


所長)ということは教育実習などにも参加して大学生活を過ごされていたと…

その後ファーストキャリアをどう選択されましたか。


黒田)これまで、教職に就きたいと話してきましたが、教育実習へ行きながら教員用試験を受ける時期に、うっかり採用試験の申し込み時期を見落とし、気付いたときには申し込み期間が終了していました…(泣)

なので、受験できずに一般就職に切り替えたちょっとおマヌケな大学生でした(笑)

周囲は内定を貰っているタイミングでしたので、慌てて大学の就職課にある求人票を漁りました。それまでは教員になるつもりで、一般就職を他人事として眺めていたため、やり方もわからず「ちょっと先生どうしたらいいの?」と、教えてもらいながら、就職活動を始めました。

ですが、当時は就職氷河期で、四大卒女子は特に需要がない時代でしたので、就職したい会社を選ぶこともできず、手当たり次第にエントリーシートを送っていました。


所長)ツライ時代でしたものね…

最終的にはどのような業種に就職されましたか。


黒田)包装資材会社の一般事務として入社しました。

中小企業で社員数20名ほどの会社でしたが、その会社でしたい何かがあった訳ではなく、卒業までに就職先が決まってないと…。という悲しい状況で入社しました。


所長)ほんと、ツライ時代でしたね…


高野)話が少し戻るのですが、先生になりたいと思ったのはいつ頃でしたか。


黒田)小中学校の勉強は、しっかりやれば成績が上がるので、わかることが面白くなり、クラスメイトがわからない箇所を教えてあげることが土台だったと思います。

小学生のとき、将来の夢として「先生になりたい」と薄っすら描いていました。当時は職場体験もない時代で、自分が見えている職業しか認識できなかったこともあり「教えることは嫌いじゃない、それなら先生」という安易な選択でした。


高野)意外なお話でビックリしました。

黒田)描いていた職業から離れ、一般企業に就職しても会社の雰囲気は良く、仕事も楽しかったのです。しかし何年か続けていると物足り無さを感じました。

当時、医療事務の資格を取るために勉強していたのですが、その勉強を教わっていた塾で「講師として教えている側をやってみないか」と誘われたことがきっかけとなり、副業として講師を始めることになりました。教職を志望していたこともあり、実際に教える側をやってみると楽しくなり、生徒が解けなかった問題を理解して「はっ!」と表情が変わる瞬間に嬉さを覚えるなど、教えることが好きという自分の本当の気持ちに改めて気づきました。


高野)わたしは教えてもらう立場しか経験がないので、教えることが好きと聞いて「すごい」と思いました。

当時、医療事務の講師ということで大人を相手にして教える立場だったと思いますが、現在はキャリアコンサルタントとして小中学生に関わることが多いですか。


黒田)比率的には小中学生7割、大人が3割ぐらいです。

羽後町に来てからは小中高生がメインになりますが、愛知で暮らしていた時は、7:3ぐらいだと思います。


高野)ありがとうございます。

キャリアコンサルタントの仕事は関われる世代が幅広いと思いますが、小中学生との関わり幅が多い理由があるのでしょうか。


黒田)再び教育に関わる決意をしたのは子どもたちとの関わりがきっかけです。

勤めていた会社を離れ、講師として働ける会社に転職して、もちろん楽しかったのですが、30代半ばになり、今後10年、20年と続けるのかと想像したとき「何か違う」と違和感を覚えました。

講師としてのキャリアはあるものの「わたしには一体何ができるのか」と自分を見失う暗闇の中で不安に駆られました。その不安を拭うためコーチングを受けたのですが、コーチングを受けるとコーチする側にも興味が湧いて、そのスキルを学ぶことにしました。


所長)先々の不安に押し殺されそうになるときもありますものね…

そこから小中学生とどう関わっていくことになったのでしょう。


黒田)コーチングのスキルを学んでいた先が、現在わたしが携わっている「ドリームマップ」の創設者が立ち上げた法人で、ドリームマ

ップの認定資格を取得したという流れです。

この法人は子どもたちの教育に関わる事業も展開しており、まだコーチングを受けていたときに現場にオブザーバー参加したことがありました。そのとき、モヤモヤした気持ちの中に、先生になりたいという学生時代に描いていた気持ちや、それまでに経験した教えることの楽しさなど、潜在的な意識に気づきました。その後、気持ちも晴れて自然な流れで子どもたちの教育現場に関わっていきました。

わたしは、そのタイミングで本当の自分の気持ち気づけましたが、もっと若いときに自分を振り返り、キャリアの棚卸しをしていれば、落ち込むこともなかったと思います。


高野)若い間に自分を振り返る時間があると良いということですが、ご自身の振り返りがコーチングの資格や現在の仕事につながっていると感じますか。


黒田)結果としてつながっていると思います。

実は当時、不安に駆られた自分の気持ちに対し何をすれば良いか分からず市民講座などに手当り次第に参加していました。


所長)自己啓発ですか。

黒田)そうです。その中の1つがコーチングでした。

当時は同僚に悩みを話しても、感覚が同じで「そうだよね」という同調で終わってしまい悩みが解決しませんでした。これではダメだと思い、違う環境にいる人の意見を手当たり次第に聞くといった、とても効率の悪い動きをしていました(笑)


所長)「とりあえずインプット」という感じですね。

黒田)そうでした。

不安に駆られ「違う価値観からの意見を吸収したい」と感じていました。


所長)そこから、コーチング、ドリームマップという流れでしたが、キャリアコンサルタントを取得するきっかけは何でしたか。

黒田)キャリアコンサルタントを取るきっかけは、その後の塾経営でした。

ドリームマップは一日をかけ、自分がどんな大人になりたいかを考えてもらう内容です。始まる時と終えた時では、子どもたちの表情がとてもいきいきと変化するとても素敵な事業ですが、参加した子どもたちがその後、どう成長していくか見えないことが唯一引っかかっていました。

その関わりが持てる仕事として始めたのが学習塾です。一年で辞めてしまうケースありましたが、通っている間はその成長の変化が見えます。地域の子どもたちを見つめることで地域にも関われるのではないかと思ったことも学習塾をはじめるきっかけとなりました。


所長)学習塾は小学校から高校生まで幅広い世代が通いますものね。


黒田)高校生の時に通っていた生徒が、その後アルバイトで来てくれるといった関わりも持てる話も聞いていましたので、当時は「どう成長するか」「どう成長したか」に関われる環境を求めていました。

ですが環境はあっても、教育に対する理論を全く持っていないことに気づきました。

講師時代は、カリキュラムに沿って授業を進めていましたが、キャリア理論の知識はなく「キャリア教育とは何か」を説明ができない自分がいました。「それなら学びに行こう」と思ったことがキャリアコンサルタントを取るきっかけになりました。資格がほしかったというよりも、その歴史や理論を知り、自分で説明できるようになりたいと思っていました。



所長)なるほど、そういうきっかけでしたか。


高野)行動力や興味関心が幅広いと思ったのですが、考えるより行動派ですか。

黒田)もちろん悩んでいる時期もありますが、悩み抜くよりも早い段階に気づいたことに行動に移すタイプかもしれません。

周囲へ相談することが多いタイプではないので、傍から見ると悩んでいる期間が見てとれず「突然、新しいことを始めた」とビックリされているかもません(笑)

悩むことが面倒くさくなって動き出している感覚です。もちろん、ある程度は頭で考え「ここまで考えたからいいよね」という思考のタイミングで行動に移す。効率の良い方法は編み出せないので、目にしたものや知識からつながりを広げる行動を手当たり次第に動いていいたこともあり、割と遠回りしていることも多く、後から調べるともっと効率的な方法があったと気づくこともあります。

失敗を恐れていない、怖いもの知らずタイプかもしれません(笑)


高野)わたしは逆に行動できないタイプで、行動力がある人が羨ましく凄いと思います。


黒田)行動に移すことに、恐怖がありますか。


高野)完璧主義な部分があり、失敗を恐れて挑戦できない傾向にあります。好奇心に突き動かされ行動する周りの人たちが羨ましくて仕方ないです。

本当の悩みの種を自分で見つけ出せていないと、お話を聞いて思いました。


黒田)そういう状況も良く分かります。

わたしは教員採用試験を忘れる失敗やその他たくさんの失敗経験から「失敗しても何とかなる」と思えるようになりました。

大学生時代のわたしも結果を恐れることはありました。一度も失敗をしたことがない人はいませんし、怖さを克服するには失敗の経験を積むことかもしれないですね。


所長)確かにそうですね。失敗は成功へつながる一つのステップですからね。

黒田)今は、子どもたちにもその経験ができる場を提供したいと思っています。

教育現場では、間違った答えを発言したときの周囲の反応や恐怖から手を挙げない子どもも多く、子どもが失敗しないよう先回りして準備する親もいます。「間違うことや失敗がダメ」「周囲と意見が違うことがダメ」ではないので、失敗を安心してできる場所や環境、経験できる機会を確保することがとても大切だと思っています。


高野)わたしも頑張ります…(笑)

黒田)今の性格が苦でなければ、無理に変える必要はないですし「周りと違うけど、わたしはこっちでいい」という考えであれば、それでいいと思います。自分の心地良さを中心に考えることが生きやすさにつながりますので。


所長)そうですね。

若い間は周囲と合わせる協調性に力を使うことも多く、はみ出て仲間はずれになることを恐れる傾向にありますが、年齢を重ねると他者と違う個性が無いことを不安に感じ、同じことを嫌がるケースもありますからね。

人それぞれに個性や価値観があって良い自由な世界ですから。法律や道徳を侵さない限りは何でもやってみるべきですね。


黒田)個性の編み出し方も色々ありますので、失敗を恐れず行動してみてください。

高野)黒田さんの個性、ご自身の「自分らしさ」「自分らしく」は何でしょう。


黒田)面白そうと興味を持てば行ってみる。行ってダメなときは決断を早く。自分のことは自分で決めて進むスタイルが自分らしさと思っています。

進むも止めるも、迷いの中の決断も、今は自分で決めることを大切にしています。

昔は一人になる寂しさを感じていましたが、今はそれを感じることも少なく、例えば「どうしても行きたい」と思えば一人でも行動している姿を自分らしさと感じています。

学生時代は友達と仲良くするために自我を抑えることもありましたが、今は自分の意見も主張することができるようになり、気持ちが楽でいられます。


所長)実際に子どもたちと触れ合う現場では、自分らしさをどうお話されていますか。

黒田)「みんな一緒じゃなくていいんだよ。自分が良いと思ったことを良いと言うことが大事なんだよ」と伝えています。授業にはカリキュラムがあるため、そこに注力して話すことはできませんが、まず自分が何を求めているかを感じて、それを大切にすることが自分らしさにつながっていくと話しています。


所長)なるほど、先ほどの話と通ずる部分ですね。


黒田)実際の現場では、好きなものを好きと言えない子どもや考える力が不足していると感じることがあります。「自分の好きな食べ物を書いてみましょう」と伝えても、隣の子の回答を見て同じことを書くシーンを目にしたこともあります。「あなたの好きな食べ物を聞いているんだよ」と尋ねても書かけない場合があります。

でも周りに聞こえないようこっそり聞くと答えてくれます。「好きな食べ物はあるけど、自分の回答に対し周りから何か言われないか…と心配だし、こんなものが好きと思われたら嫌だから隣の子と同じ物の書いておけば、何か言われても自分だけに集中しない」という感覚だそうです。

書けないのではなく、実は書かないといったことでした。

ですから、自分らしさについて「周りがどう思っても、自分が好きならそれでいいんだよ。それを認識してね」と話しています。

所長)そういう恐れから、自分の感情や考えを言語化したり表現したりが苦手になり、失敗を恐れるネガティブ思考になるパターンが増えているかもしれませんね。


高野)自分らしさ…。大事にしたいです。

ところで、地域おこし協力隊という道を選択された際、なぜ羽後町を選ばれたのですか。他の地域も検討されましたか。


黒田)羽後町以外の他地域も候補としてありました。昨年の8月で、これまでの仕事を全部ストップし、次にどこで何をするか何も決めてない状態を人生で初めて経験しました。することが当たり前だった仕事をゼロにすると何があるのか知りたいと思ったからです。ひとまず、時間だけはあるので、行きたかった場所へ、単なる旅行でなく地域のお手伝いをして無料で泊まる「旅×シゴト」という旅のかたち『TENJIKU』というサービスを利用して様々な地域へ旅をしました。その中で『SMOUT』など、気になる情報もチェックしていました。

羽後町については、まず「うごまち」と読めなかったことで興味を持ちました。全く知らない土地で、秋田県は日本の北の方だけど実際はどこだろうという感覚でした。

選んだ理由は2つあります。1つ目に、お試し協力隊制度を利用して初めて訪れたとき、様々な人に会いお話する中で、他地域で良く聞いた「いいからまず来てみなよ」といったお誘いはなく「この活動をこんな想いでやっているんだ」など、自分のやりたいことを実現する行動的文化や安易に地域へおいでと言わない文化が根付いているようで逆に印象に残りました。

2つ目に、協力隊のミッションがキャリア教育に携わる内容だったことです。教育は個人の力だけでは、なんともできない部分があり、そこ関わる人たちの思いと、掲げられたミッションで選びました。

そこに何かがあるから来たわけではなく、実際に見て知って選びました。


所長)着任後、半年ほど経過して地域や地域の方と関係性もある程度できていると思いますが、着任当初と比べ地域の見え方も変わったと思います。この部分で感じることはありますか。

黒田)世話を焼いてくれる人が多いと感じました。協力隊の任期が終われば居なくなる可能性がある前提でも、わたしの存在を知って関わってくれる人が多いと感じています。


高野)いろんな方と関わり、楽しく過ごされているとお話から感じましたが、仕事や職場の雰囲気はいかがですか。

黒田)そこにいる人と自分が楽しめないと良いものはできないと思っているので、まずは自分が楽しむようにしています。着任してまだ半年ですから、やりたくてもやりきれていないことも多く、今は試行錯誤しています。

ですが今は、様々な人と関わることで土台となる人脈を広げている段階だと捉えています。名古屋では、自分の見知っている人だけでも仕事は成り立ちますが、羽後町だけに留まらず、もっと広域につながりを広げて、他地域の方々とも一緒に取り組むことが必要だと感じています。今は県内市町村の協力隊とつながりをつくっています。


高野)では、最後の質問です。

学生時代、やっていて良かったこと。逆に経験しておけば良かったと思うことからアドバイスをいただけますか。


黒田)働く経験です。アルバイトも一つではなく、種類の違うたくさんの経験を得ていればと感じています。

大学進学後に初めてアルバイトをして、働いてお金を得る経験をしました。振り返ると、この経験はとても貴重でした。稼ぐ手段を知る機会として様々な職種のアルバイトをして経験を重ねることをおススメします。

例えば、収入を得るための仕事として、皿洗いと勉強を教えることでは収入を得る仕事としては同じでも、経験から得られる気づきは違います。わたし自身、社会人になってから本業以外に副業として講師をしていた経験で得られたものはたくさんあります。得た経験をもう一方の現場で活かすころができ、とてもいい経験になったと思っています。

学生時代は自分の知り得た世界でしか働いたことがなかったので、欲を言って、もし今の経験値を持って学生時代に戻るのであれば、リゾートバイトやTENJIKUのように他の地域に行って働く経験と地域を体感できる仕事をたくさん経験したいです。


高野)貴重なお話をありがとうございました。

わたしにない経験や考え方のお話をたくさん聞けました。行動や今後の動き方の参考になりました。


所長)本日はありがとうございました。


取材:2022.08.23


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