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執筆者の写真東谷明音

所長の部屋「ゲスト:小崎嘉純さん」第1話


第13回目のゲストは、


小崎嘉純(こさき かすみ)さん


小崎さん(以下、敬称略)は、秋田県湯沢市のご出身。専門学校卒業後、お菓子やパンを販売する店舗にて製造に携わっておられました。現在は地元湯沢市の絵どうろうまつりの絵どうろうの作成や絵どうろうを身近に感じてもらうための体験事業にも取り組んでおられます。

地元を愛する気持ちや事業に取り組む楽しさや難しさなどについてお話を伺いました。


今回は研究員の東谷明音(愛知県内の大学に通う4年生(NPO法人みらいの学校のインターン生)と一緒にインタビューしました。


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所長)ではよろしくお願いいたします。

小崎さんは湯沢北高(秋田県立湯沢北高等学校(平成23年4月に湯沢商工高等学校と統合、現在の湯沢翔北高校))のご卒業でしたね。進学する高校をどのような基準で選ばれましたか。


小崎)当時、将来についてあまり明確ではなく「何かを作る職業に就きたい」という程度の意識でした。小学生の時に地域の集まりでお菓子を配るシーンがあり、自宅近くの菓子工場から和菓子や洋菓子をいただくことがありました。「これを作ってみたい」という思いもあり、ぼんやりとお菓子屋さんへの就職を考えていました。


所長)中学生の時から将来を決めているケースは少ないですものね。高校進学の時点で、進学と就職のどちらにするかを決めていましたか。


小崎)当時の北高は普通科と生活科学科に分かれていました。将来的に食事を作る知識がほしかったので、生活科学科の食物コースを選択しました。服飾の知識も得たいと考えていましたので部活動は服装文化部に所属していました。「専門的な知識を高校生活の3年間で学べるように」と、母からの勧めで決定しました。

県内での就職を希望していましたが、就職にあたり調理師の資格を取りたいと考えていたことや「調理師専門学校に進学してはどうか」との先生から助言もあり、調理師専門学校に進学しました。調理師免許を取得すれば就職で有利になるといいた考えもありました。


所長)専門学校卒業後はどちらに就職されましたか。


小崎)横手市内でパンと菓子を製造販売するお店に就職しました。母がハローワークで求人を見つけ「募集しているなら応募してみよう」というきっかけでした。

子どもの頃、そのお店の和菓子を見て「綺麗なお菓子だな。このような魅力を伝えていきたい」と思っていたこと、昔からアニメや漫画が好きでしたからキャラ和菓子を作りたいという思いも抱いていたことも応募するきっかけでした。


東谷)就職後の働き方や、これまでご経験された仕事について教えていただけますか。


小崎)20代の頃は、働くことに生きがいを感じていましたので長時間勤務することも楽しんでいました。パン屋の朝は早く4時に出勤していました。


東谷)早いですね(驚)


小崎)人手も必要で制作時間もかかるため、繁忙期は帰宅が23時になることもありましたが「職人」というスタイルが自分にはとても合っていたので、がむしゃらに働いていていました。一生懸命作った商品がお客さまに喜ばれることが嬉しくやりがいとなっていました。作ってみたいと思っていたキャラ和菓子も商品化することができました。

その後、作ることから育てる方を学ぼうと考え、転職して養豚場で働いた時期もありました。今はゲームセンターに3年ほど勤めています。勤務時間が遅番なので、早朝出勤していたときと違い、ゆったりとした朝に幸せな時間を感じることが増えました。(笑)

目覚ましをかけて起きるストレスがなくなった分、心に余裕も出来ました。


東谷)今回のインタビューにあたり下調べしたのですが、以前の取材記事で「自分は地元に対して何ができるだろうか」という気持ちを持たれた時期があったようですが、その気持ちを持つきっかけや出来事を教えてください。


小崎)小学生の時、母親に勧められ夏休み期間に「ちびっ子公民館」という市の企画に参加して、こけしの絵付けや絵どうろう制作の体験をしていました。その時、絵どうろうに美人画ではなく桜木花道(漫画SLAMDUNKの主人公)を描きました。わたしが小学4年生の時の湯沢七夕絵どうろうまつりにその作品が展示され、AAB秋田朝日放送賞を受賞して、とても嬉しかった記憶が鮮明に残っていました。

子どもの頃に体験したこと、嬉しかった記憶など、地域で暮らす中での思い出や記憶があり、社会人なっても働きながら趣味を通して地域に関わることできないかと考えていました。


所長)原体験の記憶から地元に関わりたいと思ったのですね。


小崎)そうです。まだまだ知らない湯沢市の魅力はたくさんありますが「楽しいことが湯沢にもある」ということを、活動を通して知るきっかけを今の子どもたちに伝えたいと思っています。

アキスターの事業(絵灯ろうの絵付け体験)を始めたきっかけも、これまでに無いものだと思ったこと。絵付け体験やミニ絵どうろうの制作体験を「楽しかった」と記憶にとどめてもらいたい。わたしのように「地元には楽しいことがある」という原体験を持つ人を増やしたいと思ったことでした。


東谷)子どもの頃の体験は、記憶にずっと残り続けますものね。

先程、お話された絵付け体験ができる場所を作るにあたり、初めにおこなったことは何ですか、また、その後にどう動いていったかを教えてください。


小崎)『emishi』(ゆざわで10年先の未来をつくる“みちさまし”スタートアッププログラム)に参加した時に、湯沢市には秋田市の民族伝承会館のような観光施設がないため「地元のお祭りを集めた体験施設を作りたい」という大きい野望を持っていました。セミナーの中で、紙に自分の名前を真ん中に書き、好きなものや苦手なものなどを書き出して線でつなぐという自己分析の作業があり、その後やりたいことをブラッシュアップしていきました。「観光施設を作りたい」という大きい目標を達成させる前に何が必要か、絵どうろうをより多くの人に知っていただくために何をすれば良いかを考え、そこへ向けた行動をするという順番ができました。

まずは絵どうろうを描ける場所が必要と考え「空間・時間・仲間」の三間(さんま)を湯沢市で作るために動きました。そのためには湯沢市の情報も発信していくことが必要だと考え、絵どうろうから離れた活動も始めました。

ステップを1、2、3と自分の中で決めて、ステップ1を達成するために必要なことを考え、その後にステップ2にいくために足りないことと必要なことは何かを繰り返し考えながら動いていきました。

ステップ1のスタートとして、2019年の1月〜3月まで、駅前商店街の中にある、市民が集える場所『サンサンプラザ』で、毎週土日に絵付け体験を定期開催しました。



所長)なるほど。アキスターだけではなく、活性化協会の理事やびじんプロジェクトといった活動もされていると思うのですが、それらはどのようなきっかけでしたか。


小崎)湯沢の絵どうろうにまつわることで何かできることがないかなと考え、商工会議所さんに相談をしていたら2018年に「ゆざわ七夕絵どうろう活性化協会」が誕生していることがわかり、すぐに会員となり、現在は理事を拝命しています。

びじんプロジェクトは前会長の川井さんが逝去された後、プロジェクトの存在を消してしまうのは勿体無いと感じ、自ら手を挙げ活動しています。


所長)川井さん亡き後、挙手されたのですね。


小崎)これまで川井さんが撒いてきた種の「水撒きをやらせてください」という感じでした。びじんプロジェクトは喜んでくださる方も多く、自分らしくゆったりと活動できています。

仕事はゲームセンターの店員です。休みの日はアキスターとびじんプロジェクトといった3つを掛け持ちしているのですが、びじんプロジェクトに携わる前、実は犬っこ祭りのしんこ細工を習おうと思っていました。ですがその前に湯沢の三大祭り(七夕絵どうろうまつり、大名行列、犬っこまつり)の歴史を調べてからと考えました。まだ手は付けられていないのですが今後、調べていきたいと思っています。


所長)素晴らしいですね


小崎)アキスターの活動として、絵付け体験だけに留まらず、コロナ禍で体験ができないときに、七夕絵どうろうまつりの歴史について調べていました。また、趣味として絵どうろうなどの写真を集めていましたので、

コロナ禍でお祭りができない逆転策としてバーチャル絵どうろうのイベントに参加させて頂いた時に「写真展を開催させていただきたい」と観光物産協会さんに相談し、展示場所をお借りして写真展を開催しました。

そのとき、商工会議所の方から「文化財登録に向け協力してほしい」というお話をいただきました。「文化財!?歴史の写真などを趣味で集めたり、調べたりしていただけなのですが…」と驚き、写真展にお越しいただいた偉い方々が集まってお話しされている姿を見てドキドキしていました(笑)

ですが、写真展がきっかけとなり、わたしの知らなかった湯沢市のことを教えてくださる人も増えましたし、七夕まつりや犬っこまりが文化財登録されていないのだということに気付くことができました。


東谷)文化財登録…。難しそうですね。


小崎)「コロナ禍で行事やお祭りは中止となり観光客は減少し、さらに人口減少で地方のお祭りは衰退して観光の危機になっている中で、若年層が湯沢市のために活動されているのは、珍しく貴重な存在ですので、ぜひとも文化財登録のために活動していただけないか」というお話でした。登録に向け「わたしに何ができるか」を考え、活性化協会の方々にも協力いただきながら、雄勝郡会議事堂記念館でも歴史写真展を活性化協会の主催で開催しました。


東谷)アキスターの絵付け体験事業などをはじめとした地域を盛り上げる活動をおこなう上での楽しさややりがいなどを教えてください。


小崎)アキスターの一番のやりがいは、絵付け体験に来られた人たちが「楽しい」「こういうのがやりたかった」と笑顔で楽しんでくれる空気や場所で、先程お話した三間が満たされることです。「またやりたいな」と話している笑顔見るだけで準備や実施した苦労が報われます。

写真展のときは「こういう歴史があったんだ」と、湯沢の存在や七夕絵どうろうまつりの歴史を知ってくれることです。

相手の反応が見られることがやりがいで、ときには「もっとこうして欲しかった」とご要望いただくこともありますが、そのご要望に今後どう応えていけるかを考えることも大切だと思っています。


東谷)ありがとうございます。逆に大変だなと思うことはありますか。


小崎)様々な世代、たくさんの人と関わっていく中で「昔からこうだったから」と、わたしの意見を完全否定する人。「こういう考えはいかがですか」「これをやってみるのはいかがですか」と提案はいただけても「やるならは自分一人でやってください」と関わらないスタンスの人とご一緒するときは大変ですね。


東谷)そういうスタンスの人に対しては、どう対応されていますか。


小崎)わたしは思いついたら即行動派なので、自分から「やってみます!」と行動しています。結果「今回はこうなりました」と報告すると「なるほど」と、納得してくれるケースも多かったりします。その後「次はこうやってみたいのですが、どうしたらいいですか」と相談しながら、徐々に周りを巻き込んでいくようにしています。


東谷)まずやってみて、その後周りの人も一緒にやりませんかと巻き込んでいくのですね。


小崎)はい。やはり主体性が大事だと思います。自分がやりたいと思わないことは「やらされてる」「強制されている」という感覚になってしまうので、やりたくて楽しんでいる姿を見て「わたしもやってみたいな」と感じる人たちを惹きつけられる存在になりたいと思っています。


東谷)共感してもらったり楽しんでいる姿を見てもらったりして、面白そうと感じてもらうってことが大切なのですね。


小崎)「嘉純ちゃんっていつも楽しそうだよね」とよく言われるのですが、わたしの影響で周囲の人が幸せになってくれると自分もハッピーだと思っています(笑)

ですが、ニコニコしてただ楽しんでいるだけでは成り立ちませんから、後悔するときは後悔する。落ち込むときは落ち込む。失敗してこれはダメだったなと思ったときが成長に繋がるチャンスですから「次はこうしてみよう」と切り替えています。切り替えを早くして、考えを進めると、周りからも「こうしてみたらいいよ」と一緒になって考えてくれる人が自然と増えていきます。

母にはよく「あなたは猪突猛進だから、よく周りを見なさい」と言われていました。(笑)

これまで経験を重ねて心に余裕ができてきたからこそ、今はそれができているのかもしれないです。



東谷)文化財登録のお話があったと思うのですが、これまでの活動を踏まえ「今後はこうしていきたい」という5年後や10年後の目標はありますか。



<第2話へつづく>



取材日:2022.09.01

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第2話は、小崎さんが携わる活動をさらに深堀してお話をおうかがいします。


どうぞお楽しみに。



小崎さんの活動については以下からご覧いただけます。


アキスター体験型事業



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