所長の部屋『ゲスト:阿部英之さん(第1話)』


第二回目のゲストは、

阿部 英之(あべ ひでゆき)さん


秋田県羽後町出身、羽後町在住

大学卒業後、秋田市で就職。現在はサラリーマンから転身し、国の登録有形文化財にも登録されている、明治中期の建築と伝わるご実家「阿部家住宅」を改装したカフェ兼農家民宿【阿専】を経営されています。


今回は研究員の播磨菜月(国際教養大学 4年生、2021年4月から7月末までの期間、NPO法人みらいの学校でインターンシップ中)と一緒に、阿部さんにインタビューしました。


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所長)本日はよろしくお願いします。

英之さんは羽後町田代地区の出身ということですので、高瀬中学校(羽後町立 高瀬中学校 2016年、統廃合に伴い閉校)に通われていたんですか?


英之さん)そうです。


所長)高校はどちらに進学しました?


英之さん)秋田市の秋田経済法科大学付属高等学校(以下経法高校)に入学しました。現在の明桜高校に当たります。



所長)地元の高校ではないんですね!そうすると、秋田市に引っ越したということですか?


英之さん)いえ、引っ越したのではなく、在学中は親戚の家に居候していました。


所長)県内にも高校はたくさんありますが、なぜ経法高校にしたんですか?


英之さん)中学の部活で取り組んでいたバスケットボールができる高校に進みたいと考えていた時、経法高校から声をかけていただいたことがきっかけです。


所長)県南エリアの高校にもバスケ部はあると思うんですが、なぜ経法高校に決めたのですか?


英之さん)強豪校でチャレンジしたいという気持ちがあり、経法高校ならばレベルの高い仲間と切磋琢磨できるのではないかと考えました。また、当時は高校進学で地元を離れる先輩がかっこよく見えていたのもあり、町から外に出てみたいという気持ちも持っていました。


所長)中学までの友人と離れますし結構勇気がいることですよね。そこに関して怖さはありませんでしたか?


英之さん)新しい環境や友人がいないことに不安はありましたが不思議と怖さはなかったです。それに、顔見知りでなくても自分から声をかけていけるタイプでしたので、友達もすぐにできたことで不安も解消されました。



所長)なるほど。

高校に進学する時は、卒業後に就職するか進学するかを考えていましたか?


英之さん)いえ、考えていなかったです。高校でもバスケに打ち込んでいましたので、2年生の時に大学進学してバスケを続けたいと思うようになりました。その一心で練習し、東北エリアで一番強い大学のセレクションを受けました。結果は残念ながら落ちてしまったのですが…(笑)。その後、トップ3の大学から声を掛けていただき入学したのですが、部活は途中で辞めてしまったんです。


菜月)えっ、そうなんですか!何年生で退部したんですか?


英之さん)1年生でもう辞めてしまいました。


菜月)何か違和感のようなものを感じたんですか?


英之さん)周りの実力というか、身長も高くて上手い人ばかりだったので諦めてしまったんです。疎外感みたいなものも感じていたのかもしれないです。そこから大学ではもっと自由に過ごしたいという気持ちが膨らんでいきました。


菜月)高校と大学を選んだときにバスケットボールがしたいというのが一番の理由だったようですが、ご家族はその決断を応援してくれていましたか?


英之さん)すごく応援してくれていました。高校生の時も部員の中で地元が一番遠かったのですが送り迎えしてくれました。知り合いの保護者もいない中、親の会にも欠かさず参加してくれてすごく協力的でした。


菜月)大学で部活を辞める時、ご家族の反応はどうでしたか?


英之さん)父に「お前の栄光は高校で終わった」と言われました(笑)。将来は、教員になってバスケットボールを教えて欲しいと思っていたようなので残念な気持ちだったのではないかと思います。

そのような想いも汲んでいたので、大学では教員免許が取れる授業も受けていたんです。


菜月)教員になりたいと思っていたんですか?


英之さん)そこまで強くは思っていなかったです。教員が向いていると親から言われ、軽い気持ちで授業を取っていたため、やはり身が入っていませんでした。


所長)部活動を辞めてからの大学生活はどうでしたか?


英之さん)アルバイトと遊びが中心になっていました(笑)



所長)ですが、将来を決め就職する時期はやってきますよね。


英之さん)はい。卒業後は運送会社に入社しました。


菜月)なぜ、運送会社を選んだんですか?


英之さん)就職活動する時期、やりたいことは見つかっていませんでした。きっかけは、運送会社にいた親戚から「ウチの採用試験を受けてみないか」と声をかけてもらったことです。


所長)周りや友人の就活状況はどうでした?


英之さん)当時は就職氷河期と言われる時期で、やりたい仕事に就くというよりかは、もう選んでいられないような状況でした。内定がもらえない人が多く、周りと就活の状況など話しにくかったですし、話題にすることがタブーになっていたかもしれないです。


菜月)アルバイトをされていたということですが、何をされていましたか?


英之さん)宅配ピザと引っ越し業者、他にもホテルで働いていました。アルバイトは色々な人がいて、同世代の人と仲良くなって楽しかったです。クリスマス時期のピザ屋は、忙しすぎて大変でした(笑)


所長)アルバイトしてお金を稼ぐ経験はあったようですが、社会人になることへの抵抗みたいなものはありました?


英之さん)抵抗感は無かったです。今より忙しくなるなと思いましたが、もうやるしかないっていう感じだったと思います。



所長)実際、働き始めてどうでした?


英之さん)最初は本当に辛かったです。

入社した会社が久しぶりの新卒採用だったことで、扱いというか教える流れがなかったことや、通常入社後は、大抵ドライバーとして勤務して仕事や流れを理解するところを、各部署の仕事のスペシャリストが集まったような内勤の課に配属されたため右も左もわからず大変でした。アルバイトなどの経験で培ってきたものは全然通用しませんでしたし、担当するポジションの知識がなければ認められず、与えられる仕事も少なかったですし、𠮟られることも多くかなりキツかったです。


菜月)どのような課に配属されたのですか?


英之さん)最初は営業企画課に配属されました。会議の資料作成や県内のデータを統計する課でした。各所に資料作成のためのデータを催促する電話をした時など、若い内勤社員は経験がないため相手にしてもらえないといったこともありました…。


菜月)それは応えますね…。



英之さん)もはや電話する気力も削がれていました。でも、何もすることがないのも辛くて、別の課に仕事を探しに行くなどしてました。当時は自分の居場所を見つけようと必死でしたね。


所長)会社としても久しぶりの新卒採用で、どう接したらいいか分からなかったのかもしれないですね。


英之さん)そうだと思います。腫れ物を扱うような感じだったので、それも孤独でした。


所長)そのような状況で、どうしてそんなに頑張れたんですか?


英之さん)辛いときに親の顔が浮かんでいました。そうすると『まだ辞めちゃいけない』と思うことが出来て頑張れました。


所長)辛かったというのは、一緒に乗り越える同世代がいなかったということもあるんですか?


阿部さん)そうですね。一緒に昼食を食べることや相談し合う仲間が作れなかったことで、気持ちも段々限界になり、4~5年目くらいに辞めることを考えるようになりました、親に相談を持ち掛けると、辞める選択もしてもいいよと話してもらえ、会社に退社したい意思を伝えたところ「とりあえず1週間休みなさい」ということで、休暇をいただきました。会社としても、久しぶりに新卒入社した社員が辞めるということを避けたいという思いもあったのかもしれません。


菜月)休暇中、何か変化はありましたか?


英之さん)もともと身体を動かすことが好きなのでドライバーをやってみたいと思うようになりました。会社と相談してドライバーとして勤務するようになり、その後は仕事が徐々に面白くなっていきました。同世代も多かったですし、それまでの知識もあったおかげで自分が通用して、性格を出せるようになって楽しかったです。



菜月)ドライバーとしては、どのくらい勤務されていましたか?


英之さん)8年くらいです。それからは自信が持てるようになり役職も任されるようになりました。その頃、尊敬できる上司にも出会い、上司に恥をかかせない仕事をしようと頑張っていました。

けど...(笑)


所長)けど?

何かあったんですか?


英之さん)運送業は客商売ですから、お客さんを第一に考えるべきだと思うのですが、会社としては利益追求も必要で、そこにギャップのようなひっかかりを覚えるようになりました。


菜月)ドライバーとして働くことは面白いけれど、会社員としての使命に疑問を持つようになったということですかね。


阿部さん)そうです。その頃、地元の友人が集まる飲み会で「実家の家はどうするの?」と尋ねられました。母が亡くなってから実家は空き家になっていたんです。母は生前「この家は管理が大変だから取り壊しても良い」と言っていました。冬囲いをするために戻ってはいたのですが、母の7回忌を機に取り壊そうと考えているということを伝えると、その友人が「何を言ってるんだ」と声を荒げたのです。その友人は、古くて貴重な建造物がどんどん壊されていくことに憤りを感じていたようで「お前までそんな考えなのか」と、その憤りをわたしにぶつけたんです。


菜月)そんな出来事があったんですね。


英之さん)それがきっかけで、頻繁に実家の様子を見に戻るようになり、親や祖父がこの家をすごく大事にしていたということを思い出しました。母は家を壊していいと言っていましたが、きっと本心からではなく体力的に大変だから仕方なくという気持ちだったと思います。まだ若くて家を守っていく体力が自分にはあるということに気付いてからは『やっぱり壊してはいけない』と思い始め、会社を辞め実家で事業をすることを決断しました。



菜月)会社を辞める前から民宿とカフェをやろうということは決めていましたか?


英之さん)当時は、民宿と別の何かを一緒にやりたいと考えていました。伝統的な造りの家に泊まることは喜んでもらえると考えていましたので民宿は最初から決めていました。もう一つの何かは『誰もが遠慮なく入れる空間ってなんだろう』と考えた時に飲食が思い浮かびカフェという選択をしました。


菜月)料理は元々得意だったのですか?


英之さん)全く出来ませんでした(笑)。コーヒーの淹れ方は習って勉強しましたが、料理は見よう見まねでした。味噌汁と目玉焼きが作れたくらいでしたが、やると決めたからやるしかないって感じでした。



菜月)できないからやらないではなく、できないけどやるしかないからやる、という発想がすごいですね!


英之さん)実は、それまで一番苦手なのことがご飯を作ることだったんです。それが今仕事になっていて、やろうと思えば何だってできると実感しています。


<第2話へ、つづく>


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第2話は、英之さんが阿専を始められてからや経験から過去の振り返りに迫ります!


お楽しみに。


取材日:2021年6月15日





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